171【大いなる後悔(3)】
171【大いなる後悔(3)】
こんにちは、教師の転職コンサルタント藤井秀一です。
亡妻がガンで倒れた折、私は半年間の休職をしました。
復職して最初の大仕事は、自分の学年の卒業式でした。
彼らが受験で最も苦しい時に、私は何も手助けできませんでした。
そのつらさが冷めないうちに、私は自分自身について後悔しました。
それは昨日お話しした通りです。そして・・・・
退職すべきタイミングを失っていた私に、また退職すべき時が来ました。
今度は大正生まれの祖母が突然倒れ、身動きが取れなくなったのです。
私の両親は二人とも、決して軽くはない病気を持っています。
その二人が家庭内で車いすを使い、祖母の介護をすることになりました。
当時、息子はまだ華奢な中学生で介護の支援はできない状況でした。
私は一週間ほど祖母と両親の様子を見ていましたが、限界を感じました。
「このままでは両親の身体が持たない」と考え、学校を去る決意をしたのです。
母親を失った心痛がまだ癒えない息子も、祖父母の病状を案じていました。
私の退職からほどなくして、私の祖母は他界します。
ひととおりの始末が済み、私は再就職の活動を始めました。
以前から考えていた「日本の教育全体をサポート」できる仕事を探したのです。
ところがハローワークで待っていたのは、指導員による私への暴言でした。
教職の内容を理解できず、指導しきれないイライラを募らせたのでしょう。
「これだから教師はダメなんだ」と大声で嫌がらせを繰り返したのです。
他の指導員は暴言こそ吐かないものの、私との関わりを避けているようでした。
私は有名な大手の転職エージェント2社にも登録していました。
ハローワークを見限った私は、その転職エージェントにも失望させられました。
担当になったのは、いかにも世間知らずな、あまりにも若すぎる人でした。
もちろん教職のことなど理解してもらえず、何カ月も放置されました。
ハローワークとエージェントの他に相談先を知らず、私は行き詰りました。
「他にも同じように困惑している教師がたくさんいるに違いない」
八方ふさがりとなった私は、こんなことを考え始めていました。
この私の心配が現実であることを知るまで、長い時間はかかりませんでした。
かくして私は人生の予定を大幅に早めて起業・独立することになりました。
しかしその後の活動で、予想をはるかに超える悲惨な現実を知るのです。
(続きはまた明日・・・・)
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